イエス(彼に平安あれ):西洋啓蒙主義の暴虐とイスラーム信仰の敬愛の間

著者
Dr. Haitham Talaat
アメリカ人のトリスタン・テイト氏は、「イエス・キリストを嘲笑することが許されない世界で唯一の場所はイスラム諸国である」という注目すべき指摘をしました。この言葉は、イスラム教の預言者観と、西洋を席巻した思想的変遷との間の本質的な相違について、深い省察の扉を開くものです。
啓蒙革命の延長と聖なるものの排除
パリオリンピックの開会式など、近年の国際舞台で見られる逸脱行為は、歴史的文脈から切り離すことはできません。それは1789年に始まったフランス啓蒙革命のいわゆる「第二の波」の延長線上にあるものです。この運動は単に宗教を排除するにとどまらず、信仰に代わって「理性の崇拝」(Cult of Reason)を据えようとし、自らの価値観を堅持する人々に凄惨な出来事をもたらしました。
今日、私たちは伝統的な宗教的象徴が、混成的な文化的・思想的象徴に取って代わられる新しい段階に生きています。現代の西洋文化は、聖なるものの概念を再構築しようとする政治的・思想的潮流に支えられ、強制的グローバル化の枠組みの中で世界に輸出されています。
イスラムの立場:敬愛の教義
対照的に、ムスリムはイエス(彼に平安あれ)を敬うことにおいて断固とした立場をとります。これは単なる社交辞令ではなく、確固たる信仰の根源に基づくものです。預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)は、サヒーフ・ムスリムに記されているように、次のように述べています。
「私は現世においても来世においても、マリアの息子に最も近い人間である」
預言者たちを擁護し尊重することは、イスラムの信仰に不可欠な要素です。イエス(彼に平安あれ)は、聖クルアーンが描写した通りの存在であり続けます。
{現世においても来世においても高貴な方であり、神に近侍する者たちの一人である}
これらの唯物論的な思想の波に対する回答は、均衡のとれた論理と歴史的意識、そして預言者への敬意こそが、現代の思想的混乱に直面する倫理的・人間的価値の安全弁であるという確信の中にあります。